札幌高等裁判所 平成元年(行コ)2号 判決 1991年9月30日
控訴人
室蘭労働基準監督署長松田弘
右指定代理人
大沼洋一
箕浦正博
猪又間喜雄
水谷豊
酒井弘
被控訴人
高橋英昭
被控訴人
柴崎富子
右両名訴訟代理人弁護士
友光健七
猪狩康代
右両名訴訟復代理人弁護士
猪狩久一
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴代理人は「原判決を取り消す。控訴人らの請求を棄却する。控訴費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は原判決の事実摘示第二のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決二枚目裏二行目の「亡たかは」(本誌五四二号<以下同じ>18頁3段28行目)から同九行目(18頁3段29行目)までを「亡たかは昭和四四年一月二二日岩見沢労災病院でじん肺健康診断を受け、北海道労働基準局長は、右健康診断の結果に基づき、所定の手続を経た上、昭和四四年四月三〇日付けをもって、亡たかに対し、同人は業務上の疾病として昭和四四年一月二二日にじん肺に罹患し、じん肺法(昭和五二年法律第七六号による改正前のもの。以下「旧じん肺法」という。)四条二項に定める健康管理の区分の管理四に該当するとの決定をした旨通知した。昭和五二年法律第七六号によるじん肺法の改正に伴い、従来の健康管理の区分の管理四に該当する旨の決定はじん肺法(右改定後のもの)四条二項のじん肺管理区分の管理四に該当する旨の決定とみなされることになった。」に改め、原判決添付の別紙の「クレアニチン」を「クレアチニン」に改める。)。
三 証拠関係は原審及び当審訴訟記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。
理由
一 請求原因1及び2並びに同3の(一)の事実(亡たかの職歴、亡たかはじん肺管理区分の管理四に該当する旨の決定を受けたものとみなされること、亡たかの治療経過と死亡の事実、亡たか死亡前の臨床所見が原判決添付の別紙記載のとおりであること等)は当事者間に争いがない。
右事実によれば、亡たかは、昭和三〇年四月頃から同四二年一二月までの間北海道虻田郡豊浦町所在の採石場で採石婦として粉じんに曝される作業に従事したが、その結果、業務上の疾病として、じん肺に罹患したものであること、亡たかは昭和五五年一〇月八日に尿毒症により死亡したものであることが明らかである。
二1 右事実並びに(証拠・人証略)を総合すれば次の事実が認められる。
(一) 亡たかは昭和四三年八月一五日から同四四年一〇月まで肺結核のため豊浦国保病院に入院したことがあるが、昭和四四年一月二二日岩見沢労災病院で初めてじん肺健康診断を受け、昭和四四年四月三〇日付けで旧じん肺法四条二項所定の健康管理の区分の管理四に該当する旨の決定を受けるに至り、以後昭和五五年八月八日まで一箇月に一回岩見沢労災病院でじん肺症に対する診察、投薬を受けてきた。この間昭和四七年六月二二日から同年八月六日まで気管支肺炎に罹り、同病院に入院したが、そのころ治癒した。この間の亡たかの胸部X線写真上の変化は、左右上肺野に塊状巣が形成され、その織維化、石灰化が進み、右上肺野は胸膜の炎症も加わり、左右両肺全体の織維化も増悪し、換気機能はかなりの障害を受けており、咳、痰、喘鳴、歩行時の呼吸苦を訴えていた。したがって、亡たかは昭和五五年当時にはなお高度のじん肺の状態にあった。もっとも、肺活量は比較的良く保たれてきていた。
(二) 亡たかは、昭和五三年七月の豊浦国保病院での尿検査で尿中に赤血球が認められ、腎結石の疑いで同病院に二日間入院し、一一日間通院したが、その後治療を中断した。もっとも、そのころの岩見沢労災病院の検査では検尿に異常は認められていなかった。その後の尿検査においても、時に尿素窒素が二〇mg/dlを超えることがあったものの、特に問題とすべき点は認められなかった。
ところが亡たかは昭和五五年四月の検査の際に軽度の血尿が認められ、同年七月九日の検査では血尿が認められたほか、血沈の一時間値一七mm、二時間値五六mmと亢進し、尿素窒素二三mg/dl、クレアチニン一・二mg/dlであり、軽度の腎機能障害が認められ、同年八月二七日以降の検査では尿蛋白も陽性になり、その後の同年九月五日の検査では尿素窒素四四・五mg/dl、クレアチニン四・三mg/dlと比較的早い速度で病状が進行した。
また、亡たかは昭和五五年八月下旬ごろから三七度から三八度台の発熱が続き、咳、口内乾燥感、背部痛等があって、同年九月五日に伊達赤十字病院に入院したものであるが、その後も、時に三六度台になることはあっても、三七度から三八度台の発熱が続き、赤沈も同年九月九日には一時間値が一三四mmと非常に高くなり、その後も高い値が続いた。しかし、白血球は同年九月一六日に八二〇〇/mm3と高かったものの、その後は正常範囲である四〇〇〇/mm3台が続き、炎症反応をみるCRPも同年九月五日に3+であったが、同年九月一一日には1+になっていた。腎機能の点については同年九月五日の検査では、尿素窒素四四・五mg/dl、クレアチニン四・三mg/dlであり、それからやや良くなったり、やや悪くなったり同年九月二五日には尿素窒素四六mg/dl、クレアチニン五・三mg/dlの状態で、従来に比べて軽度の進行であり、腎機能障害の程度は高いものの比較的安定した状態が続いていた。
(三) 亡たかには胆石があったため、主治医は発熱は胆道系の障害によるものであると疑ってそのための投薬もしていた。しかし、昭和五五年七月九日の肝機能の検査結果は正常であり、同年九月二五日の検査における胆道、胆汁の通過障害の指標であるアルカリフォスターゼ(AL―P)の値は七一、LAPが三四でいずれも正常範囲にあり、肝機能検査であるGOTは一七、GPTは六で、これらもいずれも正常範囲にあり、同年一〇月二日においてもAL―Pが六二、LAPが三〇、GOTが一六、GPTが七で、いずれも正常範囲にあった。
(四) ところが、亡たかは同年九月二九日の喀啖検査で緑膿菌が2+検出され、同年同月三〇日の検査で白血球が九五〇〇/mm3に急増し、CRPは再び3+になり、同年一〇月一日以降三八度台の高熱が続き、同年一〇月四日に撮影されたX線写真には左下肺野に湿潤性の陰影が現れた。この時点で、主治医は、胆道系の感染に加えて嚥下性肺炎を合併してきていると診断していた。
(五) そして、亡たかは同年一〇月五日には、四肢に浮種(ママ)も現れていないし、少ないとはいえ自然排尿もある状態であったが、同年一〇月六日には自然排尿がなくなり、手にむくみも出てきて、同日の検査では尿素窒素七五mg/dl、クレアチニン一〇・一mg/dlと腎機能は急激に悪化して尿毒症の状態になり、同年一〇月七日に撮影されたX線写真では左肺の湿潤性陰影が拡大したほか右下肺野にも湿潤性陰影が現れ、同年一〇月八日に腹膜還流中に痙攣を起こして死亡したものである。
2 原審証人酒井一郎、同海老原勇の各証言によれば、緑膿菌は健康な通常人にとっては肺炎を起こす菌ではないが、老人や抵抗力の弱っている者にとっては肺炎の原因菌として主要なものであること、じん肺に罹患している者の肺や気道は外からの細菌の侵入に対して抵抗力が低下していること、腎疾患において感染は腎の病変を増悪させて、腎機能を低下させること、これらの事実は医学上一般的に承認されていることが認められる。
3 右事実及び前認定の事実によれば、亡たかは昭和五五年九月末ごろに緑膿菌の感染による急性肺炎に罹患し、これにより、腎疾患を急激に悪化させて同年一〇月六日には尿毒症の状態に至らせ、これにより死亡したものと認めるのが相当である。
三1 (人証略)は、亡たかには腎不全による心拡大が認められ、したがって、昭和五五年一〇月四日にレントゲン写真に現れた陰影は、肺炎というよりはむしろ尿毒症による肺水腫によるものである可能性が高い旨証言する。
(証拠・人証略)によれば、亡たかの昭和五四年当時までに撮影された胸部X線写真によれば、その心胸郭比は〇・四八程度であって正常範囲にあったが、昭和五五年九月五日の写真では〇・五〇三、同年九月二二日は〇・五三九、同年一〇月四日は〇・五五九、同年一〇月七日は〇・五七二であって、少なくとも昭和五五年九月五日以降心拡大が進んでいることが認められる。そして亡たかには腎疾患があったものであり、(人証略)によれば、亡たかの心拡大には腎疾患が寄与していることが認められる。
右のとおり昭和五五年一〇月四日に撮影されたX線写真には左下肺野に湿潤性の陰影が現れ、同年一〇月七日に撮影されたX線写真では左肺の陰影が拡大したほか、右下肺野にも湿潤性の陰影が現れたものであるが、(証拠・人証略)によれば、同年一〇月四日の陰影は典型的な肺炎の特徴を示すものではないが、典型的な肺水腫の特徴を示すものでもないこと、したがって、右のX線写真のみからいずれであるかを判断することは不可能であること、肺水腫は腎不全による左心負荷あるいは腎障害による肺胞毛細管の透過性亢進等により生ずるものであることが認められるところ、同年一〇月七日には前認定のとおり亡たかは尿毒症の状態にあったものであるから、同日においては肺水腫が生じていることは当然考えられ、同年一〇月七日のX線写真の陰影が両肺にわたる湿潤性の陰影であることからも、その陰影には肺水腫によるものも含まれていることは十分考えられる。
2 しかし、(人証略)によれば、尿素窒素が六〇mg/dlを超え、クレアチニンが八から一〇mg/dlを超えると、尿毒症の状態ということができ、透析が必要な状態であることが認められるところ、前認定のとおり亡たかは昭和五五年一〇月六日の検査で尿素窒素七五・三mg/dl、クレアチニン一〇・一mg/dlになったものであるが、その前に検査した同年九月二五日まではそのような状態には至っておらず、(人証略)によれば、亡たかの同年九月二五日までの尿素窒素及びクレアチニンの値の程度では未だ肺水腫が生ずる程度には至っていないことが認められ、前認定のとおりX線写真に陰影が現れた日の翌日である同年一〇月五日においても四肢に浮種(ママ)は現れておらず、自然排尿もあったものである。
これらの事実と(人証略)によって認められるところの一般的に肺水腫においては白血球の増加や発熱を伴うことはないとの事実に前記のとおりの亡たかの同年九月末からの白血球の急増、発熱、さらに緑膿菌の検出等と合わせ考えれば、同年一〇月四日及び同年同月七日のX線写真の陰影は、亡たかに腎疾患による心拡大が現れた後に現れた陰影であるから肺水腫によるものが含まれているとしても、亡たかが肺炎に罹患したことを示すものと認めるのがより合理的である。
四 前記のとおり感染は腎疾患を増悪させるものであるところ、前認定のとおり、亡たかには胆石があったから、発熱は胆嚢炎等によるものであって、これが腎疾患の悪化に寄与していると考えられないこともないが、しかし、発熱が続いていたとはいえ、前認定のとおりアルカリフォスターゼ、LAP、GOT、GPTの値は正常範囲にあり昭和五五年九月末に肺炎に罹るまでは白血球も正常範囲にあったものであり、腎疾患の状態も悪いながらも安定していたものであるから、腎疾患を急激に悪化させた主たる感染は肺炎であると考えるのがより合理的である。また、<証拠・人証略>によれば、亡たかは昭和五五年九月下旬ごろから抗生物質を投与されており、抗生物質は腎機能を悪化させる要因のひとつであることが認められるが、前認定の事実関係の下においてはこのことも主として肺炎が腎疾患を急激に悪化させたものであると認める妨げになるものではない。
五 そして、(人証略)によれば、亡たかの腎疾患は昭和五五年七月から同年九月五日ごろまでの短期間に早い速度で増悪したものであり、このまま放置すれば、肺炎に罹らなくても、近々腎不全に至るものであることが認められるが、しかし、同証言によれば、透析等の治療により必ずしも右の腎不全だけで致死的な状態に至るとまでいうことはできなかったものであり、他方、緑膿菌は抵抗力の弱っている者に対して肺炎の原因菌になるものであるが、緑膿菌による炎症が生じた場合、この炎症を完全に押さえることは非常に困難であることが認められるから、肺炎に罹患したことが必ずしも致死的ではなかった腎疾患を急激に悪化させて尿毒症に至らしめたものであるというに妨げない。
六 そして、じん肺に罹患している者の気道や肺は外からの菌の侵入に対しこれを排除する抵抗力が弱く、細菌に感染し易いことは前認定のとおりであるから、亡たかもじん肺による肺の荒廃、抵抗力の低下によって肺炎に罹患したものと認めることができる。
もっとも(人証略)によれば、亡たかの細菌に対する抵抗力の低下には腎疾患もそれなりに寄与していることは否定できないことが認められるが、しかし、同証言によれば、亡たかが高度のじん肺の症状にあったことによる寄与が大きいことは否定できないことが認められ、(人証略)も、亡たかは腎不全のため細菌に感染しやすい状態にあったものであるが、感染した場合にはじん肺のため荒廃している肺に発症する可能性が強い旨証言する。
したがって、結局、亡たかは、じん肺による肺の荒廃、抵抗力の低下のために肺炎に罹患し、これにより必ずしも致死的ではなかった腎疾患を急激に悪化させて尿毒症に至らしめ、これにより死亡したものであると認めることができる。
そうすると、亡たかの死亡の要因としては、じん肺が相対的に有力な要因であると認めるのが相当である。
七 以上によれば、亡たかの死亡は業務上の死亡というべきであって、これを業務外の死亡と認定した本件処分は取り消されるべきであるから、その取消しを求める控訴人らの本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法三八四条によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法八九条、九五条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 磯部喬 裁判官 竹江禎子 裁判官 成田喜達)